あつやの日々

一日過ごして思ったことや考えたことを話すだけの場所

大人になろうとする子供はいるけど、子供になろうとする大人はいない

こんにちは、あつやです



「俺の夢は叶う!!」



今高校3年生を僕と一緒に過ごしてる方々は夢を持っている人は非常に多いでしょう


人口比率とかで考えると、一番夢を持っている割合が高いのは多分僕ら高校3年生何じゃな


いだろうか


「お金持ちになりたい!」「女優みたいな人をたらい回しに恋愛したい!」「大学に受かりたい!」「新時代を作り上げたい!」「有名になりたい!」「働きたくない!」などなど


僕は軽く一分考えただけでもこれだけ叶ったら嬉しいなと思う、いわゆる夢を持っています


その中でも僕は


「映画づくりに関わりたい」


という目標があるのだが、自分の目標と今の現在地を見比べてみると、


一歩も歩けていないのではないだろうかと震えた自分がいて将来が不安になった


映画づくりをしたいと入っても僕はカメラ一台も持っていないし、編集できるようなパソコ


ンもなければ、照明もなく、脚本もない。こんな状態の僕は夢を持っていると言っていいの


だろうか?それなのに僕は、今の生活に何も焦りを感じていない。文章を書いている今は


焦っている。小説を書き始めたほうがいいのではないだろうか?一眼レフを買おうとバイト


をしたりしたほうがいいのではないだろうか?でもその思いは、このブログを書き終えて、


ベットでゴロゴロしていると、いつの間にか忘れていることに朝起きて気づく自分が怖くて


憎くて仕方がない。僕は本当に夢を持っているのだろうか?こんな僕は夢があると言ってい


いいのだろうか?僕は最近とある本をたまたま手にとって読んでみた。「夢と金」著名「西


野亮廣」きっかけなんてなにもなく、ただ著名者を知っていた。それだけである。何なら


まだ全てを読み切ってはいないのだ。僕はまだこの本を語る資格は持っていないのかもしれ


ない。それでも僕はこの計算式が非常に印象に残った。「夢=認知度ー普及度」という式。


これは西野さんが本作の中で書かれている式のことで、僕はこの式は正しいと思った。


純粋に、それでも、僕は違和感があったのだ。夢はこんな簡単な式に定義されていいのだろ


うか? みなさん、僕はイタイ高校生でしょうか?厨二病でしょうか?それでもなぜか僕は


この式を素直に受け止めたくないと思っています。メタい話をすると、この計算式はいわゆ


比喩表現で、西野さんはなにも若者が持っている夢を全てこの計算式に当てはめてみろな


んて一言も言っていない。僕のブログを見るものはいないと思うが、もしいて、この内容を


もとに西野さんを批判するのだとしたらお門違いである。勘違いさせてしまったのなら申し


訳ない(ごめんね)僕はイタイ高校生なのだとしても仕方がない。だって普通の高校生は


ブログを書かないし、書いてても、いくらめんどかったとはいえあんなケシカスよりカスな


ブログをこのネット社会に投下させようだなんておもわないであろう。


そんなぼくだからこそ、もう一度書くと、「夢=認知度ー普及度」と、あたかも人間の思い


抱く理想像の価値はすべて定義されてしまうのかとびっくりしたのかもしれない。


みなさんはこの式を正しいと思いますか?


僕は正しいと思います


でも


えんとつ町のプペルを描いたような人が、あんなに素敵な世界を頭の中で作り出せた人が、


夢を実現し続けている人が、「夢」を冷たく見ているような気が僕にはしたんです


僕には夢があります


それは、映画づくりに関わること、夢を次の世代にまで語れるような人間になることです


僕は西野さんを批判しているかのようにみなさんは見えたでしょう


そうではないんです。さっきの僕の意見は意見のなかでも暴論であり、筋なんてなにも通っ


ていません。僕が西野さんをリスペクトした点というのは、夢を語り、夢を叶える手段を語


り、そして自身の夢を叶えようとし続けている人間による、話の説得力なんですよ


西野さんが言うことは何でも正しい気がする、そこにはただの1人間としての主観的意見が


あったとしても、その意見には多くの方々が賛同するのだろうなと僕は考えていました。


めっちゃかっこいいやん


成功すれば、味方がついてくる、さらに頭のいい人は、その仲間さえ頭の良くて頼もしい味


方がやってくる、そうやって偉大なグループが誕生し、ロジャー海賊団となり、世界を大海


賊時代へと誘っていくのだなと思いました・・・・・・




なに書いてんだ俺は




僕は心強い味方と一緒にこれからの社会を作らないといけなくて、そのためには夢を持ち、


叶える手段を学び行動に移さないと西野さんにも、自分の目標にも近づけないことに、あま


りにも当たり前のことに気付かされたなと思った一日であった。そして、夢を持っている状態は立派に夢を持っている。でも他人に夢を持っていると示すには努力するしかないんだと


気づいた。


「夢は思う存分もてばよい。ただし、夢を示すには行動し、夢を叶える手段を学び、努力するしかないんだ」


そう感じた一日であった。めでたしめでたし


やばい今日平凡すぎる!このままじゃブログの気圧変化についていけないかもしれない


どうすればいいんだ・・・・



うんこ!




よしこれでいつもと気圧はちょうど同じくらいに違いない!さらばである!